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東京地方裁判所 平成5年(ワ)13768号 判決

原告

新井淳子

右訴訟代理人弁護士

江藤洋一

被告

川名敏之

川名住子

右両名訴訟代理人弁護士

近藤勝

主文

一  被告らは原告に対し、別紙物件目録記載の貸室を明け渡せ。

二  被告らは連帯して原告に対し、平成四年六月一八日から前項の貸室の明渡し済みまで一か月金八万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

四  この判決は仮に執行することができる。ただし、被告らにおいて共同して金三五〇万円の担保を立てたときは、この強制執行を免れることができる。

事実及び理由

第一  原告の請求

主文と同旨

第二  事案の概要

一  判断の基礎となる事実

1  原告は平成元年九月一七日別紙物件目録記載の居宅(六室の貸室のある木造二階建共同住宅。以下「本件建物」という。)の所有権を前所有者である末松志満子から取得するとともに、本件建物の各貸室の貸主としての地位を同人から承継した。

その後、平成元年一〇月三一日付けで、本件建物中の貸室の一つである別紙物件目録記載の貸室(以下「本件貸室」という。)につき、原告を貸主、被告川名敏之(以下「被告敏之」という。)を借主、被告川名住子(以下「被告住子」という。)を連帯保証人とする賃貸借契約が成立したが、その内容は、賃料を五〇〇〇円値上げして一か月八万円とし、賃貸借期間を旧契約期間終了日の翌日に遡及させて平成元年五月一日から平成三年四月三〇日までの二年間としたほかは、旧賃貸借契約と同じ内容であり、被告らは、旧賃貸借契約当時から引き続いて本件貸室を占有使用している。

2  原告は、被告らが本件貸室の賃借人として守るべき数々の義務に違反した行為を行っており、これらによって原告と被告らとの間の信頼関係はまったく失われたとして、平成四年六月一七日に被告らに到達した内容証明郵便をもって本件貸室の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(以上の事実は当事者間に争いがない。)

3  原告が被告らの義務違反として主張する点は、次のとおりである。

(1) 一か月以上の無断不在

本件建物は建築後三五年余り経過した木造家屋で、六世帯が入居している共同住宅であるから、建物の維持及び居住者の安全の確保のためには、各室の賃借人に相応の配慮が求められるところであり、原告も機会あるごとにその旨の説明や要請をしてきた。

原告は、被告らとの間で本件貸室の賃貸借契約を結ぶ際に、賃借人の無断不在が一か月以上に及ぶ場合は、契約は当然解除されることを明示して(本件賃貸借契約第一〇条)、被告らに右条項を遵守することを確約させた上、契約を締結している。この条項については、平成元年に原告と被告らが最初に直接賃貸借契約を交わした際に、被告らが原告に差し入れようとした契約書には、右の「一か月」が「二か月」と訂正されていたため、原告はこれを拒否して突き返し、「一か月」に戻させたという経緯がある。

本件建物は建築後三五年余り経過した木造家屋で、六世帯が入居している共同住宅であるから、建物の維持及び居住者の安全の確保と防犯のためには、各室の賃借人に相応の配慮が求められるところであり、一か月以上の無断不在の禁止も、その観点から必要な特約である。

ところが、被告らは、原告に無断で、再三、しかも、長期間にわたって不在の状態を継続しているのであり、その間、雨戸、窓、玄関等を一切閉鎖しているため、室内の日照・通風不足等により、同室が老朽化するにとどまらず、本件建物全体の老朽化を早め、さらに、室内の安全管理の不行き届きによる事故の発生や防犯上の支障が生じるおそれも大きい。

被告らを除く本件建物の賃借人は全員右契約条項を遵守して本件建物及び自己の居室の維持管理や居住者の安全の確保と防犯に努めているのに、被告らは右約定をまったく無視しているのであり、原告はもちろんのこと、被告らの長期不在により少なからぬ迷惑を被る本件建物の他の賃借人のためにも、原告は被告らとの間で本件貸室の賃貸借契約を継続することが到底できないのである。

原告が本件貸室の賃貸借契約の解除の意思表示をするまでの間の被告らの一か月以上の無断不在の状況は、原告が認識しているだけでも次のとおりである。

①原告が本件貸室の賃貸人の地位の譲渡を受けた後、被告らとの間で初めて賃貸借契約書を取り交わした日(平成元年一〇月一日)からわずか二か月余り経過したにすぎない平成二年一月下旬から同年四月中旬までの約三か月間、②平成二年一〇月下旬から一二月中旬までの約二か月間、③平成三年三月上旬から同年五月上旬までの約二か月間、④平成四年二月上旬から六月上旬までの約四か月間

(2) 本件貸室の腐朽及び損傷について

次に、被告らは、本件貸室の状態について、「部屋の状態は、畳がボロボロで、和室六畳は畳がデコデコしている。天井、壁は亀裂や剥がれが生じている。また、風呂場の根太板も腐っているし、そのレールもなくなっている。」と主張しているが、本件建物の他の貸室はそのような状態にはない。もし、本件貸室が被告ら主張のような状態にあるのであれば、それは賃借人である被告らの善管注意義務違反に基づくものであり、加えて、民法六一五条に定める通知義務にも違反していることになる。

被告らは、前記(1)記載のとおり、一か月以上の無断不在を繰り返しているが、一か月未満の不在も多く、これを含めると、一年のうち数か月間も部屋の雨戸を閉め切ったままの状態にしているのであり、そのための日照、通風不足により、本件貸室だけでなく、本件建物自体の老朽化を早めることになる。被告らがいう本件貸室の状態は、このことと関連しているものといえる。

(3) ガス漏れ事故の発生による貸室管理義務違反

平成四年二月上旬から同年六月上旬にわたる被告らの四回目の長期無断不在中である同年四月二〇日、本件貸室においてガス漏れ事故が発生した。原告はその日午前一〇時すぎ、本件建物の貸室の一室の水漏れの原因の調査のため、水道工事業者とともに本件貸室付近を通りかかった際に、ガスの臭いに気付き、たまたま訪れたガスメーター検針員に通報し、東京ガス株式会社に調査してもらい、ことなきを得たものである。原告は、前日夜、外国人風の人物が本件貸室の錠を開けて入室し、翌朝早く、再び施錠して立ち去ったのを目撃したのであるが、右ガス漏れ事故は、その後に発生しているのである。東京ガス株式会社の調査によれば、右ガス漏れ事故は、ガス栓の閉鎖不完全により生じたものであるとのことであり、したがって、右ガス漏れ事故は、被告らの貸室管理義務違反によるものというべきである。

(4) 賃料増額の協議の拒否その他の協調性の欠如

原告は、すでに齢六〇を過ぎた独り暮らしの女性であり、本件建物の入口近くの居宅に居住して貸室を管理しているものであり、一方、本件建物は建築後三五年余り経過した木造二階建の家屋で、六部屋の貸室から成っており、貸主である原告と借主である居住者とは、様々な面で協調し合っていかなければならない実情にある。現に、被告ら以外の賃借人と原告とは、様々な面で協調し合っているが、被告らは、次のような点で協調性に欠け、それが原告と被告らとの間の信頼関係の欠如の原因となっている。

①平成三年四月三〇日に本件貸室の賃貸借期間が満了するのに伴い、原告は新契約締結のため、総務庁統計局に行き、消費者物価指数の上昇率等を調査した結果を踏まえるなどして、被告らが第三回目の長期無断不在から帰った平成三年五月五日の直後に新賃料を一か月八万五〇〇〇円(五〇〇〇円の値上げ)とする旨の通知をした。ところが、被告らは、同月三〇日に八万円のみを振り込んできたので、原告は弁護士に交渉を依頼し、弁護士から賃料の値上げを通知してもらったところ、七月二日、被告敏之から原告に電話があり、家賃の値上げ額は月三〇〇〇円までなら認めると回答してきた。しかし、その後も、同年八月分まで八万円しか振り込まれなかったため、原告代理人は被告敏之あて内容証明郵便を発し、賃料は八万五〇〇〇円である旨及び六月分以降の不足額を支払うよう通知したところ、被告敏之から、値上げ額は三〇〇〇円が妥当と考える旨の回答があり、八月分までの差額九〇〇〇円及び九月分の八万三〇〇〇円が振り込まれた。しかし、一〇月、一一月分の賃料は、依然として八万円しか支払われていない。

被告らに賃貸している本件貸室は、二階の東南角部屋であり、本件建物内の貸室の中では最も条件の良いところであり、本件貸室以外の賃料は、階段下で狭く、条件の悪い二号室を除き、いずれも一〇万を超えているのに、本件貸室について八万三〇〇〇円を主張されたのでは、他の賃借人と釣り合いがとれず、不合理であることは明白である。

②被告敏之は、右契約の更新に際し、他の賃借人が新賃料の一か月分の更新料を支払っているのに、契約書に更新料の記載がないことを理由にその支払いを拒んでいる。

③被告敏之は平成二年に原告から遅滞した賃料の支払の催促を受けた際、原告に対し、威圧的な態度で暴言を吐いたが、この被告敏之の態度は現在に至るまで続いており、独り暮らしの女性である原告を怖がらせている。原告はこのような被告らの態度にたまりかねて、やむを得ず契約を解除したのである。

(5) 貸室の目的外使用

平成二年一〇月一日に実施された国勢調査のため、調査員が国勢調査票を持って本件貸室を訪れたところ、被告らは不在であったので、他の貸室の居住者に右調査票を被告らに渡すよう依頼した。そこで、その依頼を受けた者がこれを被告敏之に渡そうとしたところ、被告敏之は「住所は別のところにある。ここ(本件貸室)は事務所として借りているので、国勢調査は住所地でやる。」と述べて右調査票の受取を拒否した。

なお、被告らは、国勢調査員に対し、国勢調査は住所登録してあるところでやるのではないかと述べたものにすぎないと主張するが、国勢調査は住民登録をしている場所とは関係なく、三か月以上住んでいる場所で行うものであることは、国勢調査票の記入要領に明記されているところであり、被告ら主張のような弁解により国勢調査員が引き下がったとは考えられない。

また、原告が被告ら方に電話したところ、こちら「アラブ・アフリカインフォメーション」等との留守番電話の録音テープが聞こえた。

これらの事実からすれば、被告らは本件貸室を事務所として使用しているものと推認されるが、これは、住居目的で賃貸した本件貸室の目的外使用であり、明白な契約違反である。

4  原告の義務違反ないし信頼関係の破壊の主張に対する被告らの反論は次のとおりである。

(1) 一か月以上の無断不在の主張について

原告は各賃借人に対して一か月以上の無断不在を禁ずる旨の説明や要請をしたかのように主張するが、そのような事実はないのみならず、そのことにつき被告らの注意を喚起したことや、その条項を遵守することを確約させたという事実もない。印刷された定型の契約書にある無断不在一か月以上が直ちに解除になるとの条項は、借家人にとって著しく不利益な特約であり、無効である。長期に外国や国内を問わず療養、出張、赴任、留学等することは、日常普通に行われており、これらを無断不在により解除することは、あまりに不合理である。

被告敏之はブリーのカメラマン、被告住子はジャーナリストで、共に海外、特に中東、アフリカを中心に取材するジャーナリストで、そのレポートは雑誌に掲載されたり、本として出版されたり、テレビに放映されたりしている。そのため、海外に取材のため出張することがある。その間不在となるが、必ず友人に、一週間に二、三回、部屋の内部の点検や、送られてきた郵便物等の確認をしてもらい、それを被告らに報告してもらっている。したがって、被告らは、いつも本件貸室の状況を把握できているし、連絡はいつでも可能となっている。また、点検役にすぎない友人は、寝泊まりすることなく、用が終わればすぐに退出している。当然のことであるが、戸締り、電気、ガス等の点検確認をさせている。

また、原告の主張する不在期間は誤っており、正しくは、①平成二年二月中旬から四月上旬まで、②同年一一月下旬から一二月上旬まで、③平成三年三月上旬から五月上旬まで、④平成四年二月中旬から五月下旬までである。

(2) 本件貸室の腐朽及び損傷について

本件貸室は、使用することは可能であるが、修繕を要する状態になっている。部屋の状態は、畳がボロボロで、和室六畳は畳がデコデコしている。天井、壁は亀裂や剥がれが生じている。また、風呂場の根太板も腐っているし、そのレールもなくなっている。この部屋の状態は、被告らが入居する時から、あるいは経年してそうなったものであり、そうなったことについて被告らに責任はない。

こうした部屋の状態にもかかわらず、原告は修繕をしたことがない。原告が問題にしているガス漏れが生じたというガス器具も、修繕も取り替えもしていない。

(3) ガス漏れ事故の発生による貸室管理義務違反の主張について

原告主張のガス漏れ事故につき被告が東京ガス株式会社に出掛けて調査したところによれば、ガス検針員が本件建物のガスメーターを検針していたところ、原告がいきなり本件貸室でガス漏れしているというので調べたが、よく分からないため、会社に「臭いような気がする」との連絡をし、検針員は他に検針に行った。その後本件貸室を東京ガス株式会社の係員が調べたが、ガス漏れはなく、ただ、風呂場のガス栓が古くなっていたので、ガス栓のゴム管コックにグリスアップしただけで終わった。その時、係員は家主の原告にこのガス栓を取り替えるように指示していったのであり、これが原告主張のガス漏れ事故のすべてである。

(4) 賃料増額の協議の拒否その他の協調性の欠如の主張について

被告らは本件建物の他の貸室の居住者と協調を保っており、また、被告敏之が原告に威圧的な言辞を用いたり、怖がらせをしたことはない。被告らは、原告と会えば必ず挨拶するが、原告はこれに答えず、顔を背けるとか、わざと行ってしまう態度をとっている。原告の被告らを無視する態度の方が問題である。

(5) 貸室の目的外使用の主張について

被告らは本件貸室を事務所として使用したことはない。事務所なる看板を掲げておらず、部屋も事務所の形態にはなっていない。

ただ、留守番電話には、「アフリカ・アラブインフォメーション」との応対の吹き込みがあるが、これは被告らがアフリカ・アラブ関係の仕事をしていることから、外国やマスコミ等にアフリカ・アラブの関係の情報を伝えるために便宜上やっているにすぎない。

国勢調査の件については、被告敏之は住民登録を実家の神奈川県津久井にしてあり、それは、実家の母親の住居の建築のため被告敏之が住宅金融公庫の融資を受けていることによるものであるが、そのため、国勢調査員らに対し、国勢調査は住民登録してあるところでやるのではないかと述べたものである。

二  争点

1  被告らに本件貸室の賃借人としての注意義務に違反する行為があったかどうか。

2  原告と被告らの信頼関係が被告らの注意義務違反の行為によって破壊されているかどうか。

第三  争点に対する判断

一  賃貸借契約解除の原因となる注意義務違反の行為の有無について

本件の最も重要な争点は、賃借人の一か月以上の無断不在が賃貸借契約解除の原因となる注意義務違反を構成するかどうかである。そこで、以下、この点について、項目を分けて、検討することとする。

1  一か月以上の無断不在が賃借人の注意義務違反を構成するか。

(1) 本件貸室の賃貸借契約の特殊性

本件建物は東京都新宿区内の住宅地域にある建築後三五年余り経過した木造二階建家屋で、六世帯が入居している共同住宅であり、共同住宅全体の管理は、本件建物の所有者であり、その入口近くに住む原告が行っている。このような共同住宅は、コンクリート壁で各戸が区分されて耐久、耐火、防音及び独立性が高く、建物全体の管理のために専門の管理者が置かれて防犯、防災態勢が整えられた大規模マンションなどと異なり、そこに居住する各賃借人が防犯、防災、静ひつ及び衛生の保持に務め、健康で文化的な生活を維持するため、長期不在の場合には賃貸人であり管理者である原告に届出をし、あるいは平素から建物の室内の日照、通気、通風に意を用いる等、所有者である管理者に協力していかなければならない特質を有するものであり、それは賃貸人の立場から必要であるのみならず、各賃借人が快適な生活を送るためにも必要なことといえるのである。

しかも、原告は、六五歳をすぎた独り暮らしの女性であり、本件建物近くの居宅に住んで、貸室の賃料で生計を立てており、本件建物を丹精込めて管理し、手入れをしているものであり(〈書証番号略〉及び原告本人の供述)、各貸室の賃借人としては、原告との契約により本件建物内の貸室を賃借して居住するものである以上、原告のこのような状況に理解を示し、協調性を保っていくことが、社会通念上必要とされているといえる。

(2) 一か月以上の無断不在禁止の契約条項の効力

本件建物内の貸室の賃貸借契約には、賃借人の無断不在が一か月以上に及ぶ場合は契約は当然解除されることが記載されている。この条項のうち、契約が当然解除されるとの部分は、賃貸借契約の解除の一般原則どおり、信頼関係理論により限定解釈をし、一か月以上の無断不在の事実があり、かつ、これによって賃貸人と賃借人の信頼関係が失われている場合には賃貸借契約を解除することができるとの趣旨と解すべきである(現に原告も、前記第二の一の2記載のとおり、そう解している。)が、そのような限定はあるものの、右契約の条項自体は有効であるものというべきである。ことに本件においては、本件建物内の貸室の賃貸借契約に前記(1)の特質があるので、賃貸人にはこのような条項を設ける必要性があり、賃借人相互の防犯、防災その他の快適な生活維持の観点からも、この条項に合理性を認めることができるのである。

被告らは、右条項が賃借人にとって著しく不利益な特約であり、無効であると主張するが、その主張は、本件貸室の賃貸借契約の前記(1)の特質を理解しない主張であり、失当である。後に述べるとおり、被告らは、長期無断不在を繰り返していながら、それが自己の仕事の都合上やむをえないものであり、友人に適宜本件貸室を点検させている以上、原告との間で長期の無断不在があっても何の問題もないと主張しているのであり、被告らがそのような主張をすること自体が、被告らにおいて、本件貸室の賃貸人との間の信頼関係を維持していこうとする意欲の欠如を示す重要な事実であるといえる。

被告らは、右条項が印刷された定型の契約書にあるものであり、例文にすぎないとも主張するが、本件貸室の賃貸借契約の前記特質からすれば、右条項は単なる例文とはいえないものであり、被告らの右主張も失当である。

なお、〈書証番号略〉及び原告本人の供述によれば、被告らは、平成元年に原告との間で最初に直接賃貸借契約を交わした際に、「一か月」とある部分を「二か月」と訂正した契約書に署名押印し(この部分は被告敏之の陳述書である乙第七号証の一丁裏の記述とも一致する。)、それでは困る旨原告から指摘を受けて、改めて「一か月」とした契約書を提出したことが認められるのであり、この事実からしても、被告らの右主張が当をえないことは明らかである。

(3) 賃借人の注意義務違反の成否

右(1)及び(2)に認定判断したところによれば、本件貸室の賃貸借契約においては、賃借人が一か月以上無断で本件貸室を不在とすることは、賃貸借契約において定められた賃借人の注意義務に違反した行為というべきである。

2  無断不在の状況及び信頼関係を破壊する事情の有無

(1) 一か月以上の無断不在の有無及び無断不在の状況

被告住子の供述によれば、被告らは、その仕事柄、それぞれ長期間の国外又は国内旅行で本件貸室を留守にすることが多く、被告ら双方が同時に留守となる期間も一年のうち約三か月に上ることが認められる。そして、原告が本件貸室の賃貸借契約の解除の意思表示をするまでの間に、少なくとも、平成二年二月中旬から四月上旬まで、平成三年三月上旬から五月上旬まで及び平成四年二月中旬から五月下旬までの三回にわたり、一か月以上の無断不在の事実があったことは、被告らの自認するところである。

被告らは、その間にも、友人に依頼して、一週間に二、三回、本件貸室内の点検や郵便物等の確認をしてもらっていたから、長期の無断不在があっても何ら問題はないかのような主張をするが、その当時、本件貸室内の点検を依頼していたという友人の氏名及び連絡先を本件建物の管理者である原告に届けていたわけではなく、本件訴訟が提起された後ですら、そのような届出その他の配慮をしているわけではない(平成六年二月一六日の被告住子本人尋問の際に初めてアレクサンダー・イーズリーという米国人の存在が明らかにされ、同年三月二日の口頭弁論期日に大宝晴義の存在が明らかにされたにすぎない。なお、後に認定するとおり、被告らは長期不在中、右両名に別個に本件貸室の合鍵を常時貸与している。)のであるから、右主張は、賃貸借契約の条項を無視し、本件建物内の居住者の防犯、防災等の確保及び本件建物の維持管理について心配する原告の心情を何ら顧みるところのない強弁であるというほかない。

被告らは、仕事の都合上、そのような長期不在がやむをえないかのような主張をするが、被告らは、共に健康で、相応の収入のある職業を持ち、養育すべき子供もない夫婦であり、自己の職業の特殊性にふさわしい住居を求めうる立場にあることは明白であり、にもかかわらず、前記のとおり居住しうる条件の整わない本件貸室に居住することに固執する姿勢は、身勝手というほかない。被告らは、場所的にみて、本件貸室以外には適当な居住場所がないかのような主張をする(乙第七号証の陳述書末項)が、甲第二四、第二五号証を引き合いに出すまでもなく、右主張は明らかに経験則に反する。また、被告らは、国内、国外の友人、知人に現住所が知れわたっていることが住所変更の大きな障害である旨主張する(同陳述書)が、国内、国外にわたって知己を有する幾多の者が、それぞれ適切な配慮をしつつ住所の変更をしていることは公知の事実である。被告らの右主張は、被告らが他の者と違った重要な仕事をしているかのような思い込みに基づくものであり、公知の事実に反する。

(2) 本件貸室の腐朽及び損傷について

被告らの主張及び〈書証番号略〉によれば、本件貸室の天井、壁は亀裂や剥がれが生じ、玄関の扉にも損傷があり、風呂場の敷居は腐って戸の開閉が不能の状態にあることが認められる。

ところで、被告住子本人の供述によれば、被告らは風呂場の敷居が腐って戸の開閉ができないため、戸をあけたまま風呂を使っていることが認められる。そうだとすれば、本件貸室内に水蒸気が充満し、長期間使用するうちに、本件貸室内の各所が湿気のため劣化、腐朽することは明白である。まして、被告らは、双方が不在となる期間も一年のうちに約三か月に上り(被告住子の供述)、不在ではないときも雨戸を閉めていることがあるというのであるから(原告本人の供述)、湿気が本件貸室内に及ぼす影響は甚大であると認められる。

被告住子は、貸主が原告に変わった平成元年当時、すでに乙第六号証の一一のように風呂場の敷居が腐っていたので、原告が連れてきた修繕業者に修繕の申出をしたが、そのままになっている旨供述する(被告住子本人尋問調書第二九項)。しかし、そのとき原告は、貸室内に修繕を要する箇所がないかどうかを各賃借人に尋ね、修繕業者も呼んでいることからすれば、当時から風呂場の敷居がこのように腐っており、被告住子から修繕の申出があれば、修繕をしないまま放置するとは、およそ考えられない。被告住子は、風呂場の敷居の腐食の発生時期についての当裁判所の補充尋問に答えた際には、それまでの供述を若干変更するに及んでおり、この点も、腐食の発生時期に関する被告住子の供述が信用できない理由の一つである(被告住子本人尋問調書第三九ないし第四四項)。平成元年当時から風呂場の敷居が乙第六号証の一一のように腐っていたとする被告住子の供述は到底信用できず、この部分は、その後現在までの間にそのように腐ったものと認定するのが相当である。

なお、被告らは、長期不在中の本件貸室への郵便物等の確認をアレクサンダーと大宝なる人物に頼んでいたと主張するが、〈書証番号略〉によれば、右両名とも多忙で、一週間に一度くらい、アレクサンダーは一五分以内、大宝は長くて一時間以内しか本件貸室内に留まったことがないというのであるから、これによって本件貸室の日照、通気、通風の状態に変化が生じたとは認めがたい。

また、〈書証番号略〉に顕れた玄関の扉の損傷も、被告らの使用によって生じたもので、被告らにおいて適宜の小修繕を加えるべきものと認められるが、被告らはこれを放置しているばかりか、かえって、原告に問題があるかのような主張をしている。

このような事実にかんがみると、本件貸室は、被告らの不適正な使用によって腐朽ないし損傷をきたしているのであり、特に湿気による腐朽、損傷は、被告らの長期間の不在と密接な関係があると認められる。そして、このような本件貸室ないし本件建物の腐朽及び損傷こそが、原告が本件訴訟を提起する当初から被告らの長期の無断不在により生ずることをおそれていたものであり、本件訴訟の追行過程でその存在が明らかになったものである。

(3) ガス漏れ事故の発生による貸室管理義務違反

〈書証番号略〉及び原告本人の供述によれば、原告が前記第二の一の3の(3)「ガス漏れ事故の発生による貸室管理義務違反」において主張する事実を認めることができる。このようなガス漏れ事故が生じたのは、長期無断不在中の本件貸室の管理がずさんであったためであると判断される。

被告らは、長期不在中、週に二、三回、アレクサンダーや大宝なる人物に本件貸室の点検を依頼しているので、本件貸室の管理に問題はないかのような主張をするが、〈書証番号略〉によれば、被告らは長期不在中に、少なくとも右両名に対し、別個に本件貸室の鍵を常時預けており、そのいずれかが主たる点検者であるという関係にはなく、両名が相互に連絡を取っているという状況にもないことが認められる。本件貸室の合鍵をこのように相互に関係のない二名に常時貸与すること自体、被告らの本件貸室の管理がずさんであることを示すものである。

被告らはガス漏れのあった当日、アレクサンダーなる人物が本件貸室に入ったことがないことを証するための書証を提出している(〈書証番号略〉)が、前記認定からも明らかなとおり、原告は、当日早朝に見掛けた人物がアレクサンダーなる人物であると述べているわけではない。また、ガスの使用料金が少ないのでガス漏れ事故がなかったとする被告住子の反論は、〈書証番号略〉に照らせば、的外れである。

(4) 賃料増額の協議の拒否その他の協調性の欠如

甲第一三、第二〇号証及び原告本人の供述によれば、次の事実を認めることができる。

①原告は平成三年四月三〇日に賃貸借期間が満了するのに伴い(満了時前後、被告らは長期無断不在中)、消費者物価指数の上昇率等を調査した結果を踏まえるなどして、被告らが長期無断不在から帰った平成三年五月上旬に、同年六月一日以降の賃料を一か月八万五〇〇〇円(五〇〇〇円の値上げ)とする旨通知した。

ところが、被告らは、五月三〇日に八万円のみ振り込んできたので、原告は弁護士に交渉を依頼し、弁護士から賃料の値上げを通知してもらったところ、七月二日、被告敏之から原告に電話があり、家賃の値上げは月三〇〇〇円までなら認めると回答してきた。しかし、その後も、同年八月分まで八万円しか振り込まれなかったため、原告代理人は被告敏之あて内容証明郵便を発し、賃料は八万五〇〇〇円である旨及び六月分以降の不足額を支払うよう通知したところ、被告敏之から、値上げ額は三〇〇〇円が妥当と考える旨の回答があり、八月分までの差額九〇〇〇円及び九月分の八万三〇〇〇円が振り込まれた。しかし、一〇月、一一月分の賃料は、依然として八万円しか支払われていない。

②被告らに賃貸している本件貸室は、二階の東南角の部屋であり、日当たり、風通しがよく、静かで、本件貸室の中では最も条件のよいところである。本件貸室以外の貸室の賃料は、いずれも円満に更新され、階段下で狭く、条件の悪い二号室を除き、いずれも一か月一〇万円を超えている(空室については、最終の賃料月額)。また、二号室ですら八万九〇〇〇円となっており、他の賃借人は、被告らとは異なり、契約の更新にあたり、新賃料一か月分の更新料も支払っている。本件建物付近の同程度の貸室の賃料と比較してみても、本件貸室の賃料は、一か月八万五〇〇〇円を下ることはない。

以上のように認められ、右認定事実と、被告らが健康で相応の収入のある職業を持ち、養育すべき子供もない夫婦であることを合わせ考えると、被告らには、原告との間で円満な賃貸借関係を継続しようとする意欲及び賃借人としての協調性に欠けるものといわなければならない。

(5)  信頼関係を破壊する事情の存否

右(1)認定の長期無断不在が常態化している実情及び被告らの権利主張の内容並びに右(2)ないし(4)認定の本件貸室の管理のずさんさ及び被告らの賃借人としての協調性の欠如の状況に照らせば、原告と被告らとの間の信頼関係は、被告らの長期無断不在、これを正当と主張して顧みない姿勢、長期無断不在に起因する本件貸室ないし本件建物の腐朽ないし損傷、本件貸室の合鍵等の管理のずさんさ及び被告らの賃借人としての協調性の欠如により、修復が不可能な程度に破壊されているものと認められる。

二  以上のとおり、本件においては、本件貸室の賃貸借契約の解除の原因となる信頼関係を破壊する注意義務違反行為があったものと認められるから、平成四年六月一七日被告らに到達した契約解除の意思表示により、本件貸室の賃貸借契約は解除されたものというべきである。

よって、原告の被告らに対する本件貸室の明渡請求を認容し、本件貸室の平成四年六月一八日以降の相当賃料が一か月八万五〇〇〇円を下らないことは前記認定から明らかであるから、被告らに対し、同額の賃料相当損害金の支払を命じ、原告の申立てにより仮執行宣言を付するとともに、この判決の強制執行が遅滞することにより、被告らの不適正な本件貸室の使用が事実上継続され、これによって生じうる本件建物の腐朽ないし損傷の程度、現状回復に要する費用(原告は被告らの不適正な使用による本件貸室の腐朽、損傷部分を現状に回復するのに必要な費用を被告らに請求しうる。)、賃料相当損害金の額、長期無断不在中の防犯、防災上の問題点、被告らの資力の状況その他の事情を総合的に斟酌して、職権で、被告らが共同して三五〇万円の担保を立てることを条件とする仮執行免脱宣言を付することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官園尾隆司)

別紙物件目録〈省略〉

別紙間取図〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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